勢いに乗って輝ける父親の背は、あまりにも大きくてまぶしくて、息子としてのヨタムには、越えられない大きな壁だった。(_ _|||)
若かった。制御しがたいエネルギーに翻弄されていた頃、父アザリヤ(ウジヤ)が神にうたれた。(´_`。)
ヨタムのわだかまりは消え去り、国務を引き継ぐ自覚がめばえた。
周辺諸国の目を恐れ、父の病をかくした。父の廃位を考えずに、代行で政務をこなした。
そのため、時折、父の離れ家に、人目を避けて通い、父の意見を仰いだ。
そんなときの父の、後悔の滲み出た眼差は重くて、ヨタムは受け止めきれずに、しばしば目をそらした。
16歳の若さで、そのに双肩に国務を背負った父アザリヤ(ウジヤ)には、祖父アマジヤの最期の言葉が常にあった。
『息子よ、父の二の舞を踏むな。
高慢になるな。
偶像から離れよ!』
祝福のなかに身をおいていて、いつしか、我が身中心となってしまった父。
注進する者もいたが、父は王だったし、そんな声も小さくなった。
ある日、父は神殿で香を焚こうとした。それを祭司アザリヤが宮の勇士80人を引き連れて阻止したのだ。父は怒った。そのざわつく心が、父の額に重い皮膚病を浮かび上がらせた。父もその異変に気付き、急いで神殿から出たのだった。。
それからは、隔離された場所に閉じこもったままだ。
「イスラエルの神、主に従い続けるなら、
祝福が待っている。
この神から離れるな。
祭司の職務を犯すな」
その言葉を遺言のようにして父アザリヤ(ウジヤ)は亡くなった。
葬儀をおえてヨタムは少しほっとした。
色々あったけれど、父は王室墓地に粛々と葬られたからだ。
ヨタムが長い摂政を解かれ、晴れて玉座に座ったとき、複雑な気持ちで北イスラエルの情勢に目をやった。
ヤラベアム二世の在位27年目に、南ユダで、父アザリヤ(ウジヤ)は王となった。
その38年目に北王国ではヤラベアム二世が亡くなり、息子ゼカリヤが後を継いだ。
しかし、6ヶ月後クーデターが起こり、シャルムが王となった。
ゼカリヤはエヒウ王朝の4代目、彼にはずっと不吉なものが付いていた。
先祖エヒウは、偶像礼拝一掃のために、神様から遣わされた王だった。
当初、彼は徹底してその職務を全うした。
しかし、ベテルとダンの金の子牛には手を出さなかった。そればかりか、進んでそれを礼拝するようになった時、神様は預言者を通しておっしゃった。
「おまえの仕事は一応評価しよう。
四代目まで・・・・」
エヒウ王朝四代目。それがゼカリヤだった。そして、エヒウ王朝の幕を引いたのがシャルムだった。
彼は北イスラエル15代目の王に治まったが、その時世は一ヶ月間だった。
メナヘムがシャルム王を倒して王冠を手にしたのは、南ユダ王国アザリヤの在位39年目。
そこにアッシリアのブルが攻めてきた。
メナヘム王はただちに、国の金持ち一人頭50シケルを出させた。集めた銀1千タラントを、ブルに渡し穏便に帰ってもらった。
彼メナヘムは、10年間国を治めて先祖の墓に葬られ、息子ペカヒヤが後を継いだ。
ペカヒヤは2年後、副官のペカに宮殿で襲われ、天守まで逃げのぼったものの、そこで殺された。
副官ペカが王となり、その二年後、南ユダのアザリヤ(ウジヤ)王が亡くなり、息子の自分が王として正式に玉座に付いた。
目まぐるしく交代した北イスラエルの情勢。
その原因は何なのか?
ヨタムは目を閉じた。
建国からずっと、ベテルとダンに祭った金の子牛が原因だ。
偶像!! イスラエルの神の嫌われるものだ。
「高慢になるな。偶像から離れよ!」 (,,#゚Д゚):∴;
いつの間にか、父アザリヤ(ウジヤ)の言葉がヨタムの頭の中を駆け巡っていた。
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注:一千タラントは約6億円。
:アザリヤ<=>ウジヤ
*****写真の登録の仕方が??
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