ユダの王アハズの治世第12年、ホセアがサマリヤでイスラエルの王となり、9年間王位にあった。
その間、先祖の悪習慣を続けていたが、歴代の王たちよりはましだった。
おや、またアッシリアが攻めてきました。
当時、中近東における最大の強国アッシリア。
そして王はシャルマネセル。
かないっこありません。
ホセアは戦わずに隷属し、貢を毎年納めることに迷いはありませんでした。
それでも、貢を納めるのは大変でした。
ある年のことでした。
ダマスコから使者が来ました。王シャルマネセルが会いたいと言うのです。
ホセアはぎょっとしました。
今年はまだ貢物を納めていなかった。きっとその督促だろう。
エジプトに使者を向かわせたが・・そのことか?
いや、あれは極秘で行なったこと、分からないはずだ。
ここは開き直って会いに行こう。
それは無謀な行動でした。敵に攻撃の切っ掛けを与えてしまったのだから。しかし、その時は知る由もなかった。
ホセア王がダマスコの町に着くと、町は相変わらずにぎわっていて、市場は品物で溢れていた。
ホセア王はシャルマネセル王の前に通された。
王は最高の礼を済ませて、玉座を見上げると、シャルマネセル王は苦虫をかみ殺したような顔でホセア王を睨んでいた。
よくも臆面もなくわしの前に来れたものだな。
貢はどうした!!
昨年はとっくに届いていたぞ。
隠れてエジプトくんだりまで行って、何をたくらんでいるのだ?!
ホセア! お前の謀反の企てはあきらかだ!
ホセア王に弁明の時も与えず、彼の体には縄が掛けられた。
よし! 牢につないでおけ!!
シャルマネセル王は、ホセア逮捕後、すぐイスラエルに軍を遠征させ、王様不在の首都サマリヤを包囲した。
月日が流れ、牢獄の中でホセア王は在位9年目を迎えた。
アッシリアの王も代替わりし、新しく立てられた王によってサマリヤは陥落し、約200年あまり続いた北王国イスラエルは崩壊しました。
民の大部分は捕囚としてアッシリヤに連れてこられ、
ハラ、ゴザンの川ハボルの辺とメデアの町々にばら撒かれるようにして住まわせられました。
それは民意を削ぐためでもありました。
そして、彼らの故郷には、アラム人やバビロニヤ人が入植され、結果として、混血がはじまり、その人々が、サマリヤ人の祖先となりました。
どうしてこんなことが・・・
振り返れば、彼らの先祖アブラハムの父は、ウルの地から、カナンへ行くつもりで旅に出た。
途中ハランが気に入ったのか、そこに留まって、そこで死んだ。
そんな時でした。
神様が突然語られたのは。
「親戚縁者から離れて私が示す地に行きなさい。
わたしはあなたを祝福し大いなる国民とする。
あなたは祝福の基となる」
アブラハム、息子イサクと孫ヤコブ。ヤコブの子供たちを含む70人が行き着いた所はエジプトでした。
最初は客人として、それから奴隷として扱われつつ、いつしかエジプトが恐れるほどの大所帯になっていました。
辛い奴隷生活から開放したのはモーセで、彼は神様から指名された指導者でした。
シナイ半島をさ迷い歩くこと40年間。そこで契約の更新がなされました。
十の戒め(十戒)です。
冒頭の二つの戒めは特に大切で、再三、神様自ら語られ、また、預言者の口を通して常に、赤や黄色の警告シグナルを鳴らし続けられました。
『わたしのほかに、神としてはならない。
偶像を造ってはならない。』
『わたしは全能の神だ。
あなたはわたしの前に歩み、全き者であれ。
わたしはあなたと契約を結び、
大いにあなたの子孫を増す』
彼らが向ったのは乳と密の流れる地、カナン。
?、カナン?
あのアブラハムの父が、行こうとして行けなかった土地。
神様はあの時、その夢の続きを息子に託してあげようと思われたのだろうか?
それとも、息子アブラハムに、父が夢見た土地への憧れがあったのだろうか?
とにかく、その時は行くべき土地を示されぬままの旅立ちでした。
カナンにはすでに既成の宗教が根付いていましたから、神様はイスラエルの民に警告を発せられていたのでした。
繰り返す戦の中で民は王を求めました。
初代の王はサウル、そしてダビデ、ソロモンと引き継がれ、世界にその名を轟かせました。
しかし、その息子レハブアムの時、南北に分裂。
北王国イスラエル初代の王ヤロブアム。
彼が人心掌握の為に施した秘策、それが北王国を破滅に導く印籠、金の子牛礼拝でした。ある時にはそこに、バアル礼拝も加わりました。
神様が望まれていたのは、
選民イスラエルとの信頼関係。
後の書に書かれているような、
恋人同士のような関係でした。
他の誰でもない、貴方。
それが偶像礼拝に向うという事は、目移りし、二股も三股も掛けていたとしたら・・
神様は彼らを断腸の思いで切り離されたのでした。
はて、南ユダ。
ユダは大丈夫なのでしょうか!?