メピボセテの僕ヂバは大急ぎで、パン、干しぶどう、夏の果物、ぶどう酒などをかき集め、それらを鞍を置いたロバに乗せてダビデを待っていた。
ダビデはいち早く彼の姿を見つけて言った。
「どうしたのだ。その荷物は」
「このロバは王様のために、食べ物はあなたに従う方々のために」
「ところで、メピボセテの姿が見えないが・・・」
ヂバはごくりと生唾を飲み込んだ。
「それが・・『サウル王家の復興の時だ』と申しまして・・エルサレムに残られました」
(え!そうだったっけ? メピボセテは王様と行動を共にしたいと・・ロバの用意を!って言ってなかったかしら?ひよこの空耳?)
「彼がそう言ったのか?」
「はい、それで私はご主人の目を盗んで、ダビデ王様のためにこれらを取り揃えてお待ちしたのです」
ダビデはしばらくヂバを見つめ、それからゆっくりと空を仰いだ。雲ひとつない空。それはメピボセテの心のようだと、ついさっきまで思っていた。
彼もか・・・
一羽の鳥が空を引き裂くかのように急降下して、谷の向こうに消えていった。
「よく知らせてくれた。今からは、メピボセテのものはすべてお前のものだ」
何か変ですが、とにかく先を急ぎましょう。
誰も口を開く者がいないダビデの一行は、粛々と目的地を目指して歩いていた。そんな彼らに向かって、突然わめく者がいた。石が飛んで来た。
幸い誰にもあたらなかったが、ダビデを取り囲むようにして進んでいた家来たちは、はっとして足を止め、一斉にその飛んで来た方角に目を注いだ。
ちょうど、彼らが進む道と平行して、向こうの谷の山肌にも山道があり、そこから一人の男がわめいていたのだった。
「あの者の口を封じさせてください」
いきり立ちながら若者が言った。
「いや、まて!今の私は彼の言葉を甘んじて受けよう。神様が彼に言わせているのだ」
ダビデが黙っているのをいいことに、彼はどこまでも追ってきて
「イスラエルの王が着の身着のままで、自分の息子に追われてるぞぉ。いい気味だ!!神様が罰しておられるのだ!サウル王様とその家族を殺した血の報いを受けるがいい」
と散々なじっては、石やら何やらを投げつけます。
これにはダビデ一行は閉口した。散々に疲れ、へとへとになりながら、やっとのことで目的地、ヨルダン川の川岸につきました。
そこに待ち構えていた使者によれば、アブサロムはエルサレムに入場し、ホシャイは「王様万歳」と叫んで、アブサロムの前にひれ伏したとか。
ダビデはそれらの報告を淡々と聞き、
「そうか、ご苦労だった。これでよい、これでよいのだ」
と独り言のようにつぶやき、急ごしらえのイスの背に体をあずけた。
さて、宮殿の様子を見てみましょう。
気がかりなのはホシャイですが、少しばかりアブサロムに疑われたものの、彼の近くにいることが許されたようです。若いアブサロムはアヒトペルに言った。
「これからどうしたらよいのか?」
「まずは人民に、あなたが王となったことを見せ付けましょう。
人目に付く宮殿の屋上にテントを張って、そこにダビデの妾たちを集めるのです。それから日の高いうちに、あなたがそこに入るのです。民がそれを見れば、あなたが王になられたことを知るでしょう」
アブサロムにとって、アヒトペルの語る言葉は神の言葉のように思えて、彼はことごとく従った。
アヒトペルは嬉しかった。バテシバの事件があってから後、彼はダビデから疎んじられていたからだ。
今回、そんな鬱々とした気持ちを吐き出させてくれたのは、若いアブサロムだった。彼だったら、これからも私の持てる能力を必要としてくれるだろう。そう思ったから、躊躇することなく従ったのだった。
彼は考えた。戦に巧みなダビデのことだ。ここで時を与えてはまずい。彼の歳からすれば今が一番疲れているはず。彼の頭の中でくるくると次なる作戦が練られていった。
「王様、早速ですが、私に1万2000人の兵をあたえてください。今夜ダビデの後を追い、疲れて手薄になっている隙を狙って攻めます。狙いはただ一人。さすれば従った者も抵抗はしないはずです」
「奇襲をかけるのか・・」
アブサロムは渋った。気位の高い彼にとって、相手の隙をつくようなやり方で、勝ちたくはなかったのだ。
うう〜ん・・どうしたものか・・
その時、白い髭をたくわえたホシャイと目が合った。
「ホシャイはどう思うか?」
アブサロムは彼を見つめて言った。
「ダビデは今、子を取られた熊のように怒っていると思います。闇雲に攻めて、こちらに負傷者でもでたら、人心が動揺します。それに今、群れの中にいるかどうかも分かりません、
いかがでしょうか。
この際イスラエルの全土から優秀な戦士を集めて、あなたご自身が陣頭指揮を執られては」
アブサロムと彼の周りにいた者はみなこの話に乗った。
アヒトペルは心の中で舌打ちをした。
馬鹿な!!今をはずしていつがベストというのか。しかし現実にはホシャイの意見が受け入れられた。
アヒトペルはアブサロムに失望した。
だめだったか。俺も歳をとったものだな・・私は本当にダビデ父子に見捨てられたのだ。
足元の地面がゆっくりと開いて、ずぶずぶと体が沈んでゆくような疲労感と、深い失望が彼を襲った。そうしてその日、彼は静かに宮殿を後にした。
彼はロバの背に揺られながら自分の家に帰り、きっちり家の中を片付けると、ゆっくりと遺書をしたためた。
輪を作った紐に首を入れ、足元の台を蹴った。彼は短くウッとうめいて体が揺れて、それから永遠に動かなくなった。*1
ダビデの片腕といわれた男の、さびしい最後だった。