「イスラエルの連合軍があたふたとモアブから去ってゆく」石工たちはメシャ王の命じたままに、高さ1.2メートル、幅60センチ、厚さ35センチの、黒く光る立派な玄武岩の表面にその文字を刻み付けていった。
今回の戦のきっかけは、父の代から続くイスラエルへの貢物を拒んだことからだった。小羊10万頭と、雄羊の毛10万頭分。重荷だった。貢物を納めるたびに屈辱の憂き目を味わうのだ。機会があればと隙を伺っていた。そこに、
朗報が入ったのだ。チャンス到来。イスラエルの王アハブが亡くなった。
送り出すばかりになっていた10万頭の小羊は放牧され、10万頭の雄羊の毛は倉庫に戻された。
それから何度かイスラエルから貢物の催促があったが、王はかたくなに拒み続けた。そして、不気味な沈黙が両国を包んだ。
モアブの抵抗にヨラムは焦った。
しぶといやつめ。これはどうしたものか。
ヨラムはすぐ、人のよいヨシャパテ王の顔が浮かんだ。
ヨラムは父亡き後、バアルの石柱を取り除いたりしたが、金の小牛礼拝はそのままだった。そして、南ユダとの関係は良好だった。
彼はサマリヤを経ち、エルサレムに向った。すでに使者を遣わし、ユダの王ヨシャパテからは、頼もしい返事が届いていた。
わたしとあなたとは一つです。民も馬もあなたと一緒ですよ。ところで、作戦はどうなっているのですか?
気持ちよく援軍を出してくれて有難い。ヨルダン川を渡るのも大変なので、ちょっと遠回りですが、エドムの荒野から攻め上ろうと思っています。
そうですか。それではエドムも援軍として加わりましょう。
王様、いくら探し回っても、水らしきものが見当たりません。
斥候の言葉にヨラムは慌てた。七日間突き進んできていた。緑の草木も見当たらず、生き物の気配さえ感じられない荒野は、乾燥した風が小さな渦を巻いて、彼らの周りの赤土を巻き上げているだけだ。
ヨラムは遠回りをしたことを悔いたが後の祭りだった。
ああ、主は、われらの命をこの荒野でとろうとなさるのか?
ヨラムは二人の王を巻き込んだことの責任を感じ、土埃にうっすらと白くなった頭を両手で抱え込んだ。
まあ待ってください。この中に真の神様にお仕えする預言者がいれば、我らのためにとりなしてくれるはずですが・・
おります。おりますよ、ヨシャパテ王様。
預言者エリヤの弟子が、一人加わっていると思います。早速調べてみましょう。
ヨラムの家来がヨシャパテ王の言葉をかみ締めるように聞き取って、はっと顔を上げて言った。
エリヤの弟子。それはエリシャだ。
彼は従軍していたが、
王たちの前には姿をあらわそうとはしなかった。
しかたなく、家来の案内で、三人の王は軍の後方へ向った。
エリシャよ、われらの状態はわかっておるな。兵も家畜も今にも倒れそうだ。水が見当たらぬ。神様に願って、われらを助けてくれ。
それは弱りましたなぁ。
あなたの御両親が大切にしておられた預言者の皆様が、私の前をぞろぞろと暇そうに歩いておられますよ。彼らに占ってもらうといいでしょう。
無礼な!
わざわざ王様が来られたのだぞ。</span>
案内してきた家来は体を震わせて、怒鳴った。
まてまて、声を荒げるな。エリシャよ、神様はここでわれらの命をとられるのか?
やれやれ、困ったお人だ。
偶像礼拝をしているお方のためには、何もする気になれませんが、
はてさて・・・・、
見れば、南ユダのヨシャパテ様がご同伴でしたな。ダビデ家のためとあらば、致し方ありませんなぁ。
エリシャはマントの中に深くしずんた瞳をゆっくりとヨラムに向けた。
まずは、たて琴を弾く者を集めてください。その響きの中で、神様が私に語られるでしょう。
エリシャの周りを、たて琴の音が駆けめぐると、瞼を閉じたエリシャの坐像が、石像のようにずっしりと沈んだように見えた。
どのくらい時が過ぎたのか?
突然、エリシャの瞼が開いた。
まだ、たて琴の鳴り響く世界を漂っているのか、焦点が定まっていない。一文字に引き結んだ唇はかさかさに乾いていて、ピクリとも動かない。その唇を王たちは凝視して、耳をそばだてた。
瞼が開いた。
瞳に力が戻った。
唇が動いた。
言葉が飛び出してきた。
わたしはこの谷を水で満たそう。雨も風も無いのに、水が溢れ、人も家畜もそれを飲む。モアブ人もお前たちに渡そう。
主の言葉を伝えると、エリシャの瞼がコトリと閉じられた。
あくる日の早朝、連合軍の中は歓声で溢れていた。水が音も無くエドムの方から流れ下ってきて、彼らの前に鏡のように澄んで横たわったのだ。
家畜も人も飛び出していって、喉を潤した。
奇跡だ!
興奮の渦は陣営を包み、なかなか静まらなかった。
王様大変です。
イスラエルの王は武装を整えました。
それに南ユダに援助を求めたようです。
エドムも加わっています。
逐一届くスパイの情報を、モアブの王メシャは玉座に座って聞いていた。そして今しがた息せき切って駆け込んできた伝令者の最新情報に、メシャは声の震えを押しとどめながら聞かなければならなかった。
なんと。ヨルダン川を渡ってくると思ったに、仲間を増やしてエドムの荒野からか。
想定外の行動にメシャは慌てた。
イスラエルの連合軍が攻めてくるぞ!!
エドムの荒野を上って来るぞ!!
スパイの知らせにメシャは、にわか兵士を国境に配備した。そんな兵士が朝、見回りに出ると、朝日に輝く水面が真っ赤に染まって見えた。そして敵陣は何かわめき騒いで、膨れ上がっていた。
血だ! 血の海だ!内輪もめか?
連合軍め、仲間割れをしたんだ。みんなに知らせろ!急げ!!
興奮してしゃべる兵の声に、連合軍の見張りが気づいて、
慌てふためいて走り去るモアブの兵をじっと見つめていた。
戦闘準備!
たっぷりと水分を補給し、食べるものを食べ、神様の奇跡に上気した連合軍の士気は上がっていた。そして気力を溜め込んで、テントの陰でじっと敵の出方を待った。
モアブの兵士が仲間を引き連れて戻って来るまでに、さして時間はかからなかった。
本当だ、真っ赤じゃあないか。それにしても静かだな?おい、陣営は騒がしかったんだろ?
ええ、仲間内で敵味方に分かれて・・
そうか、相打ちで、共倒れだな。さぁ、早いとこ、めぼしい物を頂くとするか。
急ごしらえの兵士は、何の構えもなしに、浅瀬をジャブジャブと突っ切って、のこのこと戦利品を漁りにやってきたからたまらない。
虎視眈々と待ち構えていた連合軍の手にかかって、水溜りは本当に血の海と化したのでした。あっというまでした。
彼らの手を逃れた少数の兵士が坂を駆け上って行く。連合軍は疾風のように追った。勢いに乗るって、こうゆうことなんでしょうね。瞬く間に、モアブの堅固な町々が、踏み荒らされ、無残な姿に変わってゆきました。
最後までがんばっていたキル・ハレセテの要害も、瓦礫の山です。
ああぁ〜、もうだめだ。このまま恥をさらして殺されるよりも、残された700人の特攻隊の先頭を切って、相手に一泡吹かせて逝こうぞ!!
メシャ王は喉が引きちぎれんばかりにして叫びました。
ま、まってください。それはなりません。最後の最後まで望みを捨ててはなりません。
重鎮たちの説得に、ギリギリと歯噛みをしながら踏みとどまった王の目は狂人のそれで、額の血管が青く浮き上がっていました。
阿修羅のような形相に変わった王は、血走る目を継承者の息子に向けた。彼は息子に縄をかけさせると、最後に残された城壁の上に担ぎ上げて、ケモシュの捧げ物としたのでした。
連合軍の目に、この光景がハッキリと飛び込んできました。
何ともいえない黒雲が城壁の上を取り巻いていました。この狂気の沙汰に、勢い込んでいた連合軍の足は乱れ、気持ちが悪くなって、兵士の背中を悪寒が走りぬけました。
町々に手堅い打撃を与えたにもかかわらず、連合軍の士気も萎えて、ほうほうの体で引き返せざるを得ませんでした。
さてこの戦、どちらの勝利に?
エリシャはモアブはイスラエルの手に渡されるって言ったよね。確かに、初めは凄かったけど、、、後味が悪い。
メシャ王はもちろん高々とモアブの勝ちだと宣言し、彼の信じるカモシュに勝利の感謝を捧げ、時間はかかったものの、自国再建がなったとしています。
この碑文は神と自分の勝利を記念するもの。自分に分が悪いことや、息子の犠牲になんぞ触れてはいませんからぁ〜〜。