ピヨピヨひよこ日記

自分流に聖書を読んでいます。

聖書を自分流で読んでいます。

罪、許されて

見渡す限り、遮るの物の何も無い場所。
背の低い雑草のたぐいがあたりを覆っているだけ。
そして、その先には、まだ誰の足跡も付いていない白い砂地が水際まで続いている。

ナアマン将軍は馬上でしばらく行き交う風の音に耳を澄まし、キラキラと戯れながら時をかけて流れる川の水面を、まぶしそうに目を細めて眺めていた。
 
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この場所しかないのか?
ほかの場所ではだめなのか?

彼は案内してきた若者に声をかけるともなく言った。

将軍がそのように言っておられる、
どうなのだ?

従者はせかすように若者に言った。

はい、ここです。
エリシャ様がおっしゃられた場所です。
ここ以外のどこでもありません。

若者は淡々と語り、ナアマン将軍のために道を開けた。

澄み渡った空と、名も知れぬ草花の香りを運ぶ風と、飛び交う小鳥。何のわだかまりもなく輝く世界がそこにはあった。だからこそ、将軍の心はズシリと重く馬の背にへばりついて、彼の下馬を拒んだ。
握り締める手綱がじっとりと汗ばんで、手から離れない。

ここに到って彼の心は揺れた。

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川に身を浸すということは、
そうだったな、これを脱がなければ・・

彼はこの病にかかって以来、裸の身を人前にさらしたことは無かった。
信頼の置ける従者一人に、身の回りを任せ、最愛の妻にも見せなかった。いや、見せられなかった。

健康だった頃の彼は、鍛え上げられた体を惜しげもなく太陽さらし、琥珀に焼かれた肌をひそかに誇っていたものだった。
その胸に、優しく妻を抱き寄せることで、戦の疲れもまた癒されていたのだ。
それがいまや、豪華な衣装にその身を覆い、崩れゆく体と心とを、必死で支えて行かなければならなかった。

ここでか?
遮るものが何もないではないか!

病気の自分を知っているとはいっても、本当の崩れ行くこの体を見たら、
自分の勇姿に憧れている者、
尊敬の眼差しを惜しみなく注ぐ瞳。

それらが同情と哀れみと、好奇心に満ちた眼差しに変わり、失望、落胆の眼差しに変化することはわかりきったことだ。それを畏れて、必死で自分を鼓舞して生きてきた。

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エリシャめ! 預言者め!
俺を辱めるために、わざとこんな場所に引きずり出したんだな。
今まで、散々奴らを手こずらせてきたのだから、恨み辛みがあって当然だ。

ああ、何てことだ。直りたい一心で、そんなことにも思いがいたらなかったとは。どうかしているぞ、ナアマン!!

彼は突然笑い出した。

人間みな朽ちてゆくのではないか。戦で死ぬ者、怪我を負う者、病で衰える者、長く生きても枯れ木のように朽ちてゆくのだ。

はははぁ!!

どんなに富を得、地位を得、名声を得ても、それらは命の一瞬の輝き。
わしは、それらにかじりついていた。
尊敬という言葉を剥がされるのを畏れ、注がれる憧れの眼差しが消えるのが怖かった。
偉大なる将軍のままで居たかった。

はははぁ!

今やその偉大なる将軍の衣は剥ぎ取られ、病み細った、朽ちた将軍が、凝った衣装に支えられていたのを目の当たりにするのだ。

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みんな知っていることだ。
それを認めることができなくて、
本心を隠して過ごしていた。
愚かだ!愚かだぞ、ナアマン。

彼は自慢のマントを翻し馬上から降りた。
高価な靴がずぶりと砂地に沈んだ。

ナアマンは立った。
輝く太陽の陽を浴びて、
彼は立っていた。

いつもの従者の手を借りて、帽子とマントを払いのけた。きらびやかに着飾った上着をも剥ぎ取った。下着を脱ぎながら彼は言った。

わしを見てくれ。この朽ちた体を隠すために、今まで必死で生きてきた。そして、この体を癒したいがために、のこのこと、ここまでやって来た。
これが本当のナアマン将軍だ!!

ナアマンの言葉に引きずられて、従者の目が彼に注がれ、
それから、見てはいけないものを見てしまった恐れと戸惑いに、彼らの目がきょときょとと忙しなく揺れた。

これでよい、これでよいのだ。

彼は、エリシャが遣わした若者に導かれて、
水際へと降りて行った。
川の流れはゆるやかだったが、濁っていた。
彼の足は、ためらうことなく、ずしずしと水を押し切った。
水はくるぶしを濡らし、ひざを取り巻いた。
それから、指先で川底を確かめながら進んで、腰まで水の中に入れた。

ナアマン様、もう少しお進みください。
胸まで浸し、頭まで水の中へ・・

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ナアマンは言われるままに足を進め、自分の体を水中に没した。
するとボコボコと泡が沸き立って、その泡のはじける音の中に、さまざまな声が混じって消えた。
無数の声が、はじけては、消えたが、
その一つ一つの言葉は鮮明に耳に残った。

く、苦しい!
 

ナアマンは、水面下でバランスを崩し、足をすくわれた。慌てて顔を水面に出すと、大きく肩で息をした。

彼はまた体を浸した。
声は待ち構えていた。
過去に彼が犯したさまざまな出来事が、
人々の悲鳴が、
彼の足元から、這い登って迫ってきた。
 
うわぁ!

引きつった彼の眼を
太陽の光が射て、彼は硬く瞼を閉じた。
真っ赤な血潮が瞼の中を満たして溢れた。
それから呼吸を整えて、再び身を浸した。
まとわり付くそれは彼を放さなかった。

許してくれ!わしが悪かった!助けてくれ!

思わず叫んで水を飲んで、咳き込みながら川面に顔を出した時、彼の従者たちが心配そうに立ち上がっていた。

後、五回でございます。

そんな声が聞こえたような気がした。
ナアマンは水中に体を沈め、
再び太陽に顔を向けた時、
涙が滂沱となって溢れていた。

ああ、神様、私の罪をお許しください。
あなたを知らずに過ごしてきた私を哀れんでください。

唇がわなわな震え、真っ青な顔のナアマン将軍が水に押し流されて、
少し川下に立ったとき、
従者の一人が居た溜まれずに、何か叫びながら水際に駆け寄って行った。

いけません!!
あなた方の足を濡らしてはなりません。
誰の手も借りず、
将軍様がお一人でなさらなければならないことなのです。
後二回です。

将軍様ぁ! 後二回ですから!!

エリシャの使者は大声で叫んだ。

ナアマン将軍は最後の清をするために体を水に浸したとき、
細かい泡がプチプチと体中から弾けて、
七色の光を放ちながら碧い空に上ってゆくのを彼は見た。
そして、軽々と体が持ち上げられて、
気が付くと岸辺に立たされていた。
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おお!!
将軍様のお体が光っている。
血色がよくなられたぞ!
赤子のような新しい肌に生まれ変わっておられる!!

彼ははっとして自分の体に手を当てた。
その手に、健康だった頃のたくましい肌の感触が伝わってきた。

ああ、なんてことだ!
私は罪許され、この体が癒された。

彼は急いで真新しい服に着替えて、その場にひれ伏した。
熱せられた砂地は心地よかった。
やっと出会えた母親の胸で、安堵して泣く子供のように、
突きあがってくる嗚咽を押さえるすべもなく、感謝の波間に身を任せた。

彼の声は、飛び交う小鳥の後を追いかけるように、雲ひとつない空に、舞い上がった。
開かれた扉の向こうの、輝く世界を彼は今、自由に羽ばたくことが赦されたのだ。

ハレルヤ!!

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