ソロモンの子レハベアム。
彼は、愚かな王だった。彼の代で、瞬く間に輝ける王国はその頂点から転げ落ちたのだ。12部族中、10部族が彼に失望して離れ、エジプトの王、シシャクが財宝を奪って行った。老いて気弱になった父が、妻たちの偶像に寛容になりすぎて、己もまたその道に近づいていった。そんな父の姿にも倣ったのでしょうか。
シシャクのミイラが、1939年に見つかった。純金で包んだ銀の棺のなかに治まっていたとか。その金や銀、ソロモンの所からかすめたものかも・・
ソロモンの子レハベアム、レハベアムの子アビヤ。
彼は素直に父の道を選びました。父レハべアムの時には「兄弟げんかはいけません」と注進してくれる預言者シマヤがいましたが、それでも、しばしば北王国と小競り合いを繰り返していました。
息子のアビヤはイスラエルの神様に従いました。それで、父の代で失った北の町を幾つか南に取り戻しました。
ソロモンの子レハベアム。レハベアムの子アビヤ。アビヤの子アサ。
アサ王が、大きな改革を行なうことが出来たのは、預言者オデデの子アザリヤの言葉が大きかった。
「あなたがたが主と共に折る間は、主もあなたがたと共におられます。
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色々苦労もあるでしょうが、 勇気を出しなさい。手を弱くしてはならない」
そして41年間という長い治世のあいだ、それは徹底していました。偶像礼拝に傾いていた実母を、王母の位から降ろしてしまったほどでした。
ソロモンの子レハベアム、レハベアムの子アビヤ、アビヤの子アサ、アサの子ヨシャパテ。
王ヨシャパテは、父の良い見本を手本に国を固めました。祭司やレビ人を定期的に国中に派遣して、民衆に「律法」を教えました。また屈強な軍隊を要し、国は栄えました。
神様の祝福です。
それなのに、偶像まみれの北王国アハブと手をつなぎました。
ぁ!神様の目がきらと、いえ、ギラッと・・。
ソロモンの子レハベアム、レハベアムの子アビヤ。アビヤの子アサ、アサの子ヨシャパテ、ヨシャパテの子ヨラム。
政略結婚か!なんと、北王国きっての悪名高いイゼベルの娘アタルヤと結ばれてしまった王ヨラム。
神様のギラリが効いて、国はアラビヤ人やぺリシテ人に略奪され、王は病で亡くなりました。
ソロモンの子レハベアム、レハベアムの子アビヤ。アビヤの子アサ、アサの子ヨシャパテ、ヨシャパテの子ヨラム、ヨラムの子アハジヤ(エホアハズ)。
母と兄弟の命をぺリシテ人とアラビヤ人によって奪われる中で、ダビデ家の家系存続のために残された命でした。神様の情けです。
しかし彼は、神様の怒りの元凶である異教の母アタリヤを相談相手としましたから、祝福は彼から離れました。
ソロモンの子レハベアム、レハベアムの子アビヤ、アビヤの子アサ、アサの子ヨシャパテ、ヨシャパテの子ヨラム、ヨラムの子アハジヤ(エホアハズ)、アハジヤの子の・・・・?!
た、大変!王子様たちが!ピョ!!
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