ある誕生日を機に、少しばかりの階段はエレベーター使わずの私ですが、最近、人がいないとマスクをずらしてしまうことがあります。息絶え絶えとまではいきませんが...。
息絶え絶えといえば、十字架の上で息絶え絶えのイエス・キリストが語られた言葉が七つあります。その中の幾つかがダビデの詩編からの引用でした。
旧約聖書の中で、ダビデは直接「預言者」とは言われていません。しかし、キリストの弟子のひとりペテロは、ダビデを偉大な王であり「預言者」だと語っています。
ダビデが書いた詩編の幾つかは、メシヤ詩編と呼ばれていて、読むとキリストの姿が浮かび上がってきます。新約聖書を読んでいるからでしょうか。
詩編はキリスト誕生の約千年も前に書かれたものですが、キリストの生涯と照らし合わせたとき「預言の成就だ!」とペテロは驚いたことでしょう。
そのようなことから、ダビデはキリストの予型とみることができるようです。
ひょんなことから初代イスラエルの王サウルに仕え、紆余曲折を経て、イスラエルの王の座に上り詰めたダビデ。その治世は40年間。ものすごい出世物語ですね。
すべてが順風満帆の時は、気を付けなくてはいけませんね。ふとした気のゆるみからか、罪を犯してしまったダビデを預言者ナタンが指摘しました。この事件をきっかけに彼は変わりました。
完璧な悔い改めにより、神様の許しをいただいて、その心は自由になりました。
赦された感謝と喜びが溢れ出てくるのがメシヤ詩編と呼ばれる個所です。清められた魂には神様の霊が注がれます。ダビデの賛美の中に、救い主のメッセージが込められていても不思議ではありません。
🌸これは、ダビデの最後の言葉です。エッサイの子ダビデが語る。ダビデとは、神様からすばらしい勝利と祝福を授けられた者。ダビデとは、ヤコブの神様から油を注がれた者。ダビデとは、イスラエルの麗しい詩人。
「神様の霊は私をとおして語られた。神さまのことばは私の舌にあった。イスラエルの岩である方のおことば。『正しく治める者が来る。その人は、朝の光のよう、雲一つない朝焼けのよう、地に萌え出た若草に降り注ぐ、雨上がりの陽光のようだ』
まことに、神様がわが家系をお選びくださった!神様は永遠の契約を、私と結んでくださった。その約束はゆるがず、最後まで守られる。*1サムエル記下23:
時は流れ、バビロニヤ捕囚後のイスラエルでは、救世主(メシヤ)待望信仰が高まりました。メシヤがダビデの子孫から出ると言うのです。人々の期待が最高潮に達した時、イエスは生まれました。そのイエスの母マリヤの夫ヨセフは、なんとダビデの家系だったのです。
ダビデの名は「愛された者」の意で、名前のごとく、その生涯は豊かな神様の祝福に満ちていました。と言っても子供たちのことでは悩まされたようですが。
ダビデの記事は、聖書の「サムエル記」や「列王記」に収められ、またその名前は聖書にちりばめられて輝いています。
ダビデ時代に活躍した預言者は主に、晩年のサムエル、ガド、ナタン、ザドク、アサフ、へマン、エドトン(エタン)などで、しばしば一緒に出てきます。ダビデを助け、互いに連絡を密に取りあい、機会を見つけては会っていたことでしょうね。
コロナ渦の昨今、手軽に使える携帯電話があることは本当に感謝なことです。
「ダビデは素晴らしい王様でした。しかし歴代の王たちの墓に人として葬られました。イエスも死んで、人として葬られましたが、二度と死ぬことのない体によみがえったのです(復活)。
『私はダビデに約束した素晴らしい祝福を、あなた方に与える』ダビデ契約*2
『このイエス様こそ、世の人の罪を赦して下さる救世主。彼を信じる者はみな、すべての罪から解放され、正しい者と宣言される』」
パウロの興奮した声が聞こえるようです。