ピヨピヨひよこ日記

自分流に聖書を読んでいます。

聖書を自分流で読んでいます。

兄弟喧嘩の結末は

ある日、オバデヤは幻を見ました。

突然、幻の内容が語られますが、オバデヤ?どんな人?

自己紹介がありません。

同名の人は依然にも何人か出てきましたが、わからないようです。

わかっているのは、この書がエドムの滅亡について書かれていること。

それだけでは悲しすぎるので、ヤコブイスラエル)の回復の希望が予言されています。

エドムが『永遠に消え去る』とは厳しい予言です。

エドムはアラバの谷の東側、岩石の多い山地です。南北160キロ、東西32キロ、水が豊かで牧草に富んでいました。渓谷にそびえたつ難攻不落の要塞は彼らの誇りでした。

そのエドムに対して言われた言葉がこれ。

『あなたは・・してはならなかった』

 てことは、してしまったのですね。

身内の災いを眺めていてはならなかった。

身内の滅びの日に喜んではならなかった。

その日に誇ってはならなかった。

その門に入ってはならず、

その苦しみを眺めてはならなかった。

その財宝に手をかけてはならなかった。

逃れる者を切ってはならなかった。

その残った者を敵に渡してはならなった。

敵とはバビロン。

エドムはバビロンがエルサレムを攻撃した時、それに便乗して上記のようなことをしたのでした。

エドム人の家系を辿れば父はイサク、母はリベカにたどり着きます。

その両親のもと、双子として生まれたのが、兄エサウと弟ヤコブです。

ですが、母の偏愛も絡んで、ヤコブが長子の権を手にしてしまいます。

そんなヤコブに神様はイスラエルという名を与えられました。

エサウの子孫はエドム人。そこからです。連綿と続く兄弟げんかは。

出エジプトの時、エドム人の領地を通らなければなりませんでした。モーセは丁重に理をいれましたが、返ってきたのは戦も辞さないという、厳しい返答でした。モーセ陣営がざわついたとき、神様がおっしゃいました。

「その土地はエドムに私が与えた土地だ。そしてお前たちは兄弟なのだ。争ってはならない。よいか、三代目のエドム人はお前たちの集会に加えるようにしなさい。」(申命記2:4~..23:7~)

そのようなわけでモーセたちは大きく迂回しなければなりませんでした。

さて、後に遺恨を残すなとの神様のお言葉は守られたでしょうか。

いいえ、両民族間には度々紛争がありました。

イスラエル初代王サウルもダビデ王も、ソロモン王の時もありました。

そして、イスラエル分裂後、ユダ王国第5代目のヨラム王の時も(2列王20:)、

9代目のアマジヤ王の時も(2列王14:7-)、

12代目のアハズ王の時も(2歴代28:)、

ユダ王国最後の20代目の王ゼデキヤの時までも、繰り返しありました。

そのような訳で「兄弟だから争うな」この言葉は完全に無視されました。

エドムに対して神様はさらなる追い打ちをかけると予言しました。

エレミヤ書49章、哀歌4章、エゼキエル25章、アモス書1章などなど・・。。

実際その後、アラビアから侵入してきた遊牧民族のナバタイ人((古代北アラビアのアラブ系民族)が、当時エドム人が居住していたペトラに侵入してきます。

そしてナバタイは、ペトラを首都とした王国を築いてしまいます。(ユネスコ世界遺産ペトラ遺跡はナバタイ人が築いたもの)

エドム人はナバタイによって、ネゲブ砂漠へ押しやられるのです。その地方は、イドマヤと呼ばれ、かのヘロデ大王の出身地でもあります。

「その日には必ず、わたしはエドムから知者を、エサウの山から知恵を滅ぼす」(8節) 

テマンはエサウの息子エリファズの子の名前から来ています。あのヨブと議論したエリファズもエドム人でした。

ヤコブから、エルサレム陥落までは、約1200年も経っています。1200年経っても、決して許せない拘りがエドムにはあったのですね。

🐤話がそれますが、日本も隣国から・・・と言われ続けるのでしょうか。。😿

神様のえこひいき?いえ神様のご計画。

「シオンの山には逃れた者がいて、そこは聖なる所となる。

ヤコブの家は、自分たちの土地を奪った者の土地を奪う。

ヤコブの家は火となり、ヨセフの家は炎となり、エサウの家はわらとなる。

火と炎はわらに燃え移り、これを焼き尽くす。

エサウの家には、生き残る者がいなくなる』(17~18節)

土地を奪われ、捕囚の民だったイスラエルに希望の光が差し込みます。イスラエルの回復です。

オバデヤは幻の中で、約束の地を取り戻すイスラエルの回復を知ります。さらに「ペリシテ人の国」や「エサウの山(エドム)」をも支配するようになると。

🐤

残念ながら今に至るまで、争いのその火種はくすぶっていて、たくさんの難民が苦しんでいます。はたして解決の時はいつなのか?