ピヨピヨひよこ日記

自分流に聖書を読んでいます。

聖書を自分流で読んでいます。

原点に帰ろう

ダビデから王位を継承したソロモンは、大事業である神殿建築をつつがなくこなし、国内外にその存在をアピールしました。

レビ族にとっても一番晴れがましい時だったことでしょう。

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このソロモン預言者とは言われていませんが、預言者の素質は十分にあります。神様からの言葉を選民に伝え、未来を預言し、救い主メシヤの来臨を示しています。

今の苦しみに耐え、望みを捨てないようにと励ましています。不信仰の時にはそれを指摘して叱責し、警告しています。ソロモンが書いたとされる「箴言」「伝道の書」「雅歌」を見ると、それらのことが、すっきりとあてはまります。

でもぉ…晩年はどうだったか…(・・?

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🌸主を恐れることは知識の初めである。愚か者は知恵と訓戒をさげすむ(箴言1:7)

 🌸わたしの戒めを、あなたの心におさめ、耳を知恵に傾け、心を悟りに向け、銀を求めるように、これを求め、かくれた宝を尋ねるように、これを尋ねるならば、あなたは、主を恐れることを悟り、神を知ることができるようになる(箴言2:)

 🌸人の道は自分の目にことごとく潔しと見える、しかし主は人の魂をはかられる。あなたのなすべき事を主にゆだねよ、そうすれば、あなたの計るところは必ず成る(箴言16:)

 🌸これが私の最終的な結論です。神さまを敬い、その命令に従いなさい。これこそすべての人の本分である(リビング・伝道者の書12:13) 

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結局、出エジプトを果たしたイスラエルの民が、シナイ山で授かった「十戒」に要約されているってことでしょうか。

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 十戒

①主が唯一の神だ

偶像崇拝はだめだ

③神の名をやたら唱えるな

安息日を守れ

⑤父母を敬え

⑥殺人はだめだ

⑦姦淫もだめだ

⑧盗みもだめだ

⑨隣人について偽証をするな

⑩隣人の財産をむさぼるな

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民:ダメダメが多くて守れません!(´;ω;`)ウゥゥ

神:だろうな。なんとかしよう。

と神様は思われたのでしょうか、様々な預言者をとおして、未来に解決策を委ねられました。守れないながらも一生懸命さが感じられなかったからでしょうか。後に王国は分裂し、悪政が続いて、アッシリヤとバビロンに苦しめられることになります。

・・・・・・・・・・・・・・・・

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 ベツレヘム・エフラタよ、あなたはユダの氏族のうちで小さい者だが、イスラエルを治める者があなたのうちから、私のためにでる。その出るのは昔から、いにしえの日からである。(ミカ5:2)

 

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*雨風激しい中、母がワクチン接種をしてきました。「全然痛くなかったよ」と何事もなく帰ってきました。とりあえず、横になってもらいました。ファイザーです。二回目が気になります。💉

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忍び寄ってくるのは

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ソロモン王朝は神殿建築という華々しい出発ではじまりました。しかしその終焉は40年後に来ました。国は分裂し、南ユダ王国と北イスラエル王国になりました。

ダビデ王の血筋はユダ王国に引き継がれ、ユダ族とベニヤ民族だけが南ユダ王国にとどまり、後の10部族は北イスラエル王国に従いました。

レビ族は神の箱がダビデの町に運ばれた時、一緒についてきて、そのままソロモン神殿で粛々と奉仕を続けました。 

しかし悪政が続き、次第に神殿礼拝は顧みられなくなって、時は過ぎてゆきました。

 

ユダ王国第12代アハズ王は偶像まみれの政策をとり、アッシリヤの属国として苦しんでいました。

そのような国難の時にアハズ王は亡くなり、息子ヒゼキヤが王となりました。彼はすでに、すべきことをわきまえていました。

「レビ人よ。身を清めよ。そして主の宮から穢れを取り除け!」

どうやら長いことイスラエルの神への、もろもろの儀式が途絶えていたようです。これって、レビ族にとって死活問題。それがないということは?どうやって生活をしていたのか?                                    ヒゼキヤ王は言われました。

レビ人よ、主の前に立って、仕えて、香を炊くのだ

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その時アサフの子孫も、へマンの子孫も、エドトンの子孫もいました。彼らは嬉々として身を清め、神殿を整えました。神殿の中にはたくさんの偶像と、それにかかわる物が詰まっていました。それを持ち出して宮清めを終わらせるのに、16日もかかってしまいました。そして神殿で「罪祭」と「燔祭*1を捧げました。

またダビデ王と先見者ガドと、預言者ナタンが定めた規則に従い、レビ人はシンバル、立琴、琴など、ダビデの楽器を奏し、祭司はラッパを鳴らしました。会衆は皆礼拝し、聖歌隊も儀式が終わるまで歌い続けました。

それからヒゼキヤ王は、レビ人に命じて、ダビデと先見者アサフの言葉で主を賛美しました。

 

ハレルヤ。

主の御名をほめたたえよ。ほめたたえよ。主のしもべたち。主の家で仕え、私たちの神の家の大庭で仕える者よ。

・・・

イスラエルの家よ、主をほめよ。アロンの家(大祭司の家系)よ、主をほめよ。レビの家(祭司の家系)よ、主をほめまつれ。詩編135

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ヒゼキヤ王は喜びに満たされ、北イスラエルの人々にも、「過越の祭*2」のために招待状を発布しました。しかし人々は無視しましたが、参加者がいなかったわけではありません。少数の者はやってきて、大いに満たされ喜んで帰って行きました。

ヒゼキヤ王はレビ人の労をねぎらうために、酬恩祭*3の犠牲をささげ、主に感謝して、七日のあいだ祭りの供え物を食べさせました。

 それからです。

偶像礼拝でスタートした北イスラエルは、第19代ホセア王の時に、アッシリヤに滅ぼされ国は崩壊しました。残念です。

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イスラエル崩壊という出来事で、南ユダの人々も身を引き締めましたが、その緊張は続きませんでした。

昨今の緊急事態宣言のようです。

それでも、信仰心のダレた民にも信仰回復の風は吹きました。第16代ヨシヤ王の時でした。後から思えばユダ王国最後の宗教改革でした。

ヨシヤ王の治世18年の時、大祭司ヒルキヤが律法の書を発見しました。

若き王はその内容に( ゚Д゚)。それからシャルムの妻で女預言者ホルダにお伺いを立てると、今の国難は神との契約違反が原因だとわかりました。

それで祭司、預言者、町の人々と共に主の宮に行き「律法の書」を会衆に読み聞かせると、王は宣言しました。

これからは、神との契約を守り行う

民も「アーメン」と唱和したことでしょう。

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それから先代のアハズ王やマナセ王が作った偶像の宮を壊し、そこに仕える偽祭司たちを廃止しました。それは徹底していました。かって預言者が言ったように、悪名高きべテルの祭壇も灰燼に帰しました。

それからエルサレム過越の祭りを行いました。

「ヨシヤのように心を尽くし、精神をつくし、力をつくしてモーセのすべての律法に従い、主により頼んだ王はヨシやの先にはなく、またその後にも彼のような者は起こらなかった」

 

こんなにも素晴らしい王様だったのに、メギド戦で露と消えました。青天の霹靂、民の落胆は動揺はいかばかりか・・

この結果、アッシリヤから独立したと思ったら、今度はエジプトの従属国となってしまいました。

神さまのお怒りも抑えがたく、ユダ王国滅亡の波がひたひたと忍び寄ってくるのでした。

👣

それは第20代ゼデキヤ王の時に起こりました。ユダ王国はバビロンに攻められ、あの美しい神殿も宮殿も皆焼かれました。民はバビロンに引っ立てられました。つわものどもが夢のあと・・・😿

はたして選民イスラエルはこのまま滅びてしまうのでしょうか?

かすかな望みがないわけではありません。ヨシヤ王が蒔いた信仰の種は確実に育っていましたから。🌱

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*1:動物が捧げられた。すべて焼き尽くして、誰も食べることはできない。朝夕毎日行われ、安息日新月、祭司の聖別のためにも行われた

*2:出エジプトの記念で毎年行われている

*3:和解のいけにえ。神の恵みに感謝して決められた動物を犠牲としてささげ、神との交わりの再確認のために行われた

親から子へと

全能なる神は言われる。私と契約を結んだ民よ、意味のない、形だけの礼拝を私は忌み嫌う。私は怒ってあなたを責める。私をないがしろにし、偶像に走ったからだ。悩みの日には私を呼べ、私はあなたを助けると主は言われる。

あなたの誓いを高き者に果たせ。そうすれば心からの感謝のいけにえを捧げることができる。神を崇め身を慎む者に、私は神の救いをしめそう詩編50篇

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詩編にはアサフ、へマン、エドトン(エタン)の作詞したものがいくつかあります。

彼らはダビデの時代を共に生きた人たちです。そんな彼らにとって、忘れられない出来事がありました。

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イスラエル第2代目の王となったダビデは、国政が安定すると「神の箱(契約の箱」を首都エルサレムに置きたいと切に願うようになりました。 

「神の箱」とは、出エジプト後、シナイ山で「十戒」を刻んだ石板を神様からいただきましたが、それを収めて運ぶための箱です。*1

礼拝のための「幕屋」の設計図も与えられました。それにともなって、特別に選ばれたのがレビ族でした。レビ族はヤコブの12人兄弟のうちの一人です。その中から特別にモーセの兄アロンを大祭司とし、その子供たちは祭司として選ばれ、礼拝を司ることとなりました。それは世襲でした。あの幼子サムエルの宗教教育の親となった大祭司エリの祖先です。他のレビ人*2も「神の箱」の管理運搬等を任されました。アサフ、へマン、エドトンの祖先もその中に含まれていました。

 

荒野での40年間「神の箱」は常に行列の先頭に立ち、民を導きました。宿営するときは幕屋を張ってその中に「神の箱」を置き、大祭司アロンの指導のもと、礼拝が捧げられました。

 

カナン定住後は、シロに安置されました。大祭司エリの時代には戦場に担ぎ出され、ペリシテに奪われました。それから7か月間ペリシテの地にあったのですが、色々と災難が続き、イスラエルに返還されました。

それでバアル・ユダのアビナダブの家に20年間、置かれたのです。20年は長いですね。

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ダビデ王は国事として「神の箱」を首都エルサレムに運び入れることにしました。しかし、途中で事故ってしまいました。手続きに不備があったのです。死者も出ました。そんなわけで、ダビデ王もビビって、首都搬入は頓挫しました。

 

事故後は、近くのガテ人オベデエドムの家に運びこまれました。そこに3か月間置かれましたが、その間、その家は祝福されました。その祝福をダビデは聞いて動きました。今度こそはと、満を持しての運搬です。

その日のために、イスラエルの主だった人たちが招集されました。運搬順路の両脇は、首都エルサレムに新設された幕屋の入口まで人で埋まったのではないでしょうか。

 

この時、アサフとへマンとエドトン(エタン)は、青銅のシンバルを打ち鳴らし、行列を華やかに盛り上げ、神を賛美しました。

ダビデ王は大はしゃぎでした。周りの者も王様に感化されて、夢中で歌い踊りました。しかし、それを見たミカル王妃は「イスラエルの王様のすることか、はしたない!」となじりました。何しろ王妃様は初代イスラエルの王サウルのお姫様でしたから、プライドが許さなかったのでしょう。方や王様は羊飼い。そんなこんなで夫婦仲は冷えたようです。

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でも王様の心は、ますます神様を賛美し燃え続けました。

ダビデ王様は、改めてレビ人の中から礼拝賛美の係を任命しました。アサフ、へマン、エドトンの祖先は、幕屋のもろもろの務めに任じられていましたが、もはや幕屋をたたむことも「神の箱」を担いで移動することも無くなりました。彼らは心配していたのです。でも失職することもなく、三人とも「神の箱」の前で賛美する務めが与えられました。ダビデ王様のおかげです。

楽長はアサフで、アサフの兄弟へマン。それから王の先見者でもあり指揮者でもあるエドトンも選ばれました。三人とも楽器も歌も作詞作曲も得意でしたし、預言もしました。

主に感謝せよ!主は恵み深く、そのいつくしみはとこしえに耐えることがない

その日は、何度も何度もこの曲が奏でられ、賛美したことでしょう。

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その後です。ピカピカの宮殿と幕屋を見比べてダビデ王は言いました。

「神殿を建てたい」

神さまはダビデ王の願いを退け、息子ソロモンにゆだねられました。

ダビデ王様の凄いところは、そんなことでがっかりなさらないことです。よし、それならと、準備万端整えて、息子ソロモンに引き継ぎをして亡くなりました。

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ダビデ王の在位40年間は、波乱にとんだものでしたが、常に神様を見上げて歩み続けた戦士でした。ダビデ王の葬儀の時にはアサフもへマンもエドトンも、故ダビデ王を惜しみつつ、感謝しつつ、声高らかに神様を賛美したことでしょう。

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ソロモン王が父ダビデ王の遺志を継いで神殿を建てたときも、父の定めに従って、祭司と賛美する者と神殿の蔵の管理をする者を定めました。そして毎日、祭司はその持ち場に立ってラッパを鳴らし、レビ人も祭司の前に立ち、ダビデ王が感謝するために造った楽器で主を讃えました。

(続く)

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*1:後に、金のツボに入ったマナとモーセの兄アロンが使用した不思議な杖も入ります

*2:祭司の中の階級。大祭司、祭司、レビ人

約束

ある誕生日を機に、少しばかりの階段はエレベーター使わずの私ですが、最近、人がいないとマスクをずらしてしまうことがあります。息絶え絶えとまではいきませんが...。

息絶え絶えといえば、十字架の上で息絶え絶えのイエス・キリストが語られた言葉が七つあります。その中の幾つかがダビデ詩編からの引用でした。

 

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旧約聖書の中で、ダビデは直接「預言者」とは言われていません。しかし、キリストの弟子のひとりペテロは、ダビデを偉大な王であり「預言者」だと語っています 

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ダビデが書いた詩編の幾つかは、メシヤ詩編と呼ばれていて、読むとキリストの姿が浮かび上がってきます。新約聖書を読んでいるからでしょうか。

詩編はキリスト誕生の約千年も前に書かれたものですが、キリストの生涯と照らし合わせたとき「預言の成就だ!」とペテロは驚いたことでしょう。

そのようなことから、ダビデはキリストの予型とみることができるようです。

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ひょんなことから初代イスラエルの王サウルに仕え、紆余曲折を経て、イスラエルの王の座に上り詰めたダビデ。その治世は40年間。ものすごい出世物語ですね。

すべてが順風満帆の時は、気を付けなくてはいけませんね。ふとした気のゆるみからか、罪を犯してしまったダビデ預言者ナタンが指摘しました。この事件をきっかけに彼は変わりました。

完璧な悔い改めにより、神様の許しをいただいて、その心は自由になりました。

赦された感謝と喜びが溢れ出てくるのがメシヤ詩編と呼ばれる個所です。清められた魂には神様の霊が注がれます。ダビデの賛美の中に、救い主のメッセージが込められていても不思議ではありません。

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🌸これは、ダビデの最後の言葉です。エッサイの子ダビデが語る。ダビデとは、神様からすばらしい勝利と祝福を授けられた者。ダビデとは、ヤコブの神様から油を注がれた者。ダビデとは、イスラエルの麗しい詩人。

「神様の霊は私をとおして語られた。神さまのことばは私の舌にあった。イスラエルの岩である方のおことば。『正しく治める者が来る。その人は、朝の光のよう、雲一つない朝焼けのよう、地に萌え出た若草に降り注ぐ、雨上がりの陽光のようだ』

まことに、神様がわが家系をお選びくださった!神様は永遠の契約を、私と結んでくださった。その約束はゆるがず、最後まで守られる。*1サムエル記下23:

 

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 時は流れ、バビロニヤ捕囚後のイスラエルでは、救世主(メシヤ)待望信仰が高まりました。メシヤがダビデの子孫から出ると言うのです。人々の期待が最高潮に達した時、イエスは生まれました。そのイエスの母マリヤの夫ヨセフは、なんとダビデの家系だったのです。

 ダビデの名は「愛された者」の意で、名前のごとく、その生涯は豊かな神様の祝福に満ちていました。と言っても子供たちのことでは悩まされたようですが。

 

ダビデの記事は、聖書の「サムエル記」や「列王記」に収められ、またその名前は聖書にちりばめられて輝いています。

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ダビデ時代に活躍した預言者は主に、晩年のサムエル、ガド、ナタン、ザドク、アサフ、へマン、エドトン(エタン)などで、しばしば一緒に出てきます。ダビデを助け、互いに連絡を密に取りあい、機会を見つけては会っていたことでしょうね。

 

 コロナ渦の昨今、手軽に使える携帯電話があることは本当に感謝なことです。

 

使徒パウロは言います。

ダビデは素晴らしい王様でした。しかし歴代の王たちの墓に人として葬られました。エスも死んで、人として葬られましたが、二度と死ぬことのない体によみがえったのです(復活)。

 『私はダビデに約束した素晴らしい祝福を、あなた方に与える』ダビデ契約*2

『このイエス様こそ、世の人の罪を赦して下さる救世主。彼を信じる者はみな、すべての罪から解放され、正しい者と宣言される』

パウロの興奮した声が聞こえるようです。

 

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*1:ダビデ契約

*2:ダビデの家系から救い主が生まれるサムエル下7:16

大祭司ザドク

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祭司ザドク預言者ナタン

♪ソロモン王を聖別せり

♪全ての民は喜び讃えり

♪「神よ王を守りたまえ、王よ永らえたまえ」

♪御代よ永遠なれ!

♪アーメン、ハレルヤ!』

 パソコンで「祭司ザドク」で検索すると、ヘンデル作曲「祭司ザドク」が最初に出てきます。

1727年、ロンドンウェストミンスター寺院で挙行されたジョージ2世の戴冠式のために作られた曲だとか。その後、イギリスの戴冠式の時には必ず演奏されるようになったとか。動画もあったのでついでに聞きました。

 この曲、サッカーチャンピオンズリーグのアンセムの原曲で、以前も聞いたけど、何回聞いても、涙出る!サッカーに興味はないけれど、サッカー場で聞いたら・・😿。

(以前、同じようなことを書いた気がするけど‥)

ザドクの名前は前回の記事とダブリます。

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アブサロム王子反逆事件です。

その時、ダビデの優秀な高官アヒトペルも王子側に回ったため、ダビデ王は甚く嘆きました。そして自分の息子との戦いを避けて、エルサレムを脱出しました。祭司アビヤタルとザドクは契約の箱を持ち出して、ダビデに従おうとしましたが、押しとどめられ、新たに密命が下されました。宮殿に戻り、アブサロム王子たちの情報を、逐一ダビデ王に伝えること。そのため、彼らの息子たちが繋ぎとして選ばれました。

ダビデ王の高官の一人ホシャイも、王様と行動を共にするつもりでした。しかしこれも、ダビデ王は止めました。ホシャイの役はアヒトペルの戦略を阻止して、ダビデたちの逃走を助けることでした。

この事件でダビデ王は意図せずして、息子アブサロムを失いました。

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歳月が流れて、ダビデ王も寝床に着くことが多くなりました。

ダビデ王の第4子、アド二ヤ王子は、兄アブサロム王子が亡くなると、正当な王位継承者は私だと主張し、行動を起こしました。預言者ナタンはいち早くその事に気づき、ソロモン王子の母バテ・シェバから、王様に伝えるよう促しました。それで急きょ、ダビデ王は預言者ナタンと祭司ザドクを呼び寄せて、ソロモン王子に油を注ぎ、公に「ダビデ王の後継者はソロモンだ」と宣言するように命じました。

ダビデ王はこのことでも、命を縮めたのでしょうか。息子ソロモン王に遺言を残して亡くなりました。王としての身の処し方、自分が王だった時、助けてくれた人たちや、罪を犯した人たちの処遇などをゆだねたのでした。

王となったソロモンは、祭司アビヤタルがアド二ヤ王子を支持した罪で解任し、ザドクを大祭司にしました。

時が流れて、北イスラエルはアッシリヤに滅ぼされ、南ユダもバビロンに負けてほとんどの人が捕囚としてバビロンの地にいました。捕囚の預言者エゼキエルは「イスラエルの民は必ず帰還し、滅ぼされたソロモン王の神殿を再建する」と預言し、民を励ましました。その神殿の管理は大祭司ザドクの子孫がすると言うものでした。

 バビロンはペルシャの王クロスに倒されました。クロス王はイスラエルの故国帰還を赦しました。神殿も再建され、預言の通り、神殿の管理を任されたのがザドクの子孫でした。

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それは大祭司ザドクの死後、約400年後のことでした。

イスラエル崩壊の前夜、イスラエルの民や、ユダ部族が偶像にとっぷりつかり切っていた時も、ザドクの子孫は神殿の務めを粛々と行っていました。大祭司ザドクの影響が脈々と流れていたのですね。

  

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