ソロモン王朝は神殿建築という華々しい出発ではじまりました。しかしその終焉は40年後に来ました。国は分裂し、南ユダ王国と北イスラエル王国になりました。
ダビデ王の血筋はユダ王国に引き継がれ、ユダ族とベニヤ民族だけが南ユダ王国にとどまり、後の10部族は北イスラエル王国に従いました。
レビ族は神の箱がダビデの町に運ばれた時、一緒についてきて、そのままソロモン神殿で粛々と奉仕を続けました。
しかし悪政が続き、次第に神殿礼拝は顧みられなくなって、時は過ぎてゆきました。
ユダ王国第12代アハズ王は偶像まみれの政策をとり、アッシリヤの属国として苦しんでいました。
そのような国難の時にアハズ王は亡くなり、息子ヒゼキヤが王となりました。彼はすでに、すべきことをわきまえていました。
「レビ人よ。身を清めよ。そして主の宮から穢れを取り除け!」
どうやら長いことイスラエルの神への、もろもろの儀式が途絶えていたようです。これって、レビ族にとって死活問題。それがないということは?どうやって生活をしていたのか? ヒゼキヤ王は言われました。
「レビ人よ、主の前に立って、仕えて、香を炊くのだ」
その時アサフの子孫も、へマンの子孫も、エドトンの子孫もいました。彼らは嬉々として身を清め、神殿を整えました。神殿の中にはたくさんの偶像と、それにかかわる物が詰まっていました。それを持ち出して宮清めを終わらせるのに、16日もかかってしまいました。そして神殿で「罪祭」と「燔祭*1を捧げました。
またダビデ王と先見者ガドと、預言者ナタンが定めた規則に従い、レビ人はシンバル、立琴、琴など、ダビデの楽器を奏し、祭司はラッパを鳴らしました。会衆は皆礼拝し、聖歌隊も儀式が終わるまで歌い続けました。
それからヒゼキヤ王は、レビ人に命じて、ダビデと先見者アサフの言葉で主を賛美しました。
ハレルヤ。
主の御名をほめたたえよ。ほめたたえよ。主のしもべたち。主の家で仕え、私たちの神の家の大庭で仕える者よ。
・・・
イスラエルの家よ、主をほめよ。アロンの家(大祭司の家系)よ、主をほめよ。レビの家(祭司の家系)よ、主をほめまつれ。詩編135
ヒゼキヤ王は喜びに満たされ、北イスラエルの人々にも、「過越の祭り*2」のために招待状を発布しました。しかし人々は無視しましたが、参加者がいなかったわけではありません。少数の者はやってきて、大いに満たされ喜んで帰って行きました。
ヒゼキヤ王はレビ人の労をねぎらうために、酬恩祭*3の犠牲をささげ、主に感謝して、七日のあいだ祭りの供え物を食べさせました。
それからです。
偶像礼拝でスタートした北イスラエルは、第19代ホセア王の時に、アッシリヤに滅ぼされ国は崩壊しました。残念です。
北イスラエル崩壊という出来事で、南ユダの人々も身を引き締めましたが、その緊張は続きませんでした。
昨今の緊急事態宣言のようです。
それでも、信仰心のダレた民にも信仰回復の風は吹きました。第16代ヨシヤ王の時でした。後から思えばユダ王国最後の宗教改革でした。
ヨシヤ王の治世18年の時、大祭司ヒルキヤが律法の書を発見しました。
若き王はその内容に( ゚Д゚)。それからシャルムの妻で女預言者ホルダにお伺いを立てると、今の国難は神との契約違反が原因だとわかりました。
それで祭司、預言者、町の人々と共に主の宮に行き「律法の書」を会衆に読み聞かせると、王は宣言しました。
「これからは、神との契約を守り行う」
民も「アーメン」と唱和したことでしょう。
それから先代のアハズ王やマナセ王が作った偶像の宮を壊し、そこに仕える偽祭司たちを廃止しました。それは徹底していました。かって預言者が言ったように、悪名高きべテルの祭壇も灰燼に帰しました。
「ヨシヤのように心を尽くし、精神をつくし、力をつくしてモーセのすべての律法に従い、主により頼んだ王はヨシやの先にはなく、またその後にも彼のような者は起こらなかった」
こんなにも素晴らしい王様だったのに、メギド戦で露と消えました。青天の霹靂、民の落胆は動揺はいかばかりか・・
この結果、アッシリヤから独立したと思ったら、今度はエジプトの従属国となってしまいました。
神さまのお怒りも抑えがたく、ユダ王国滅亡の波がひたひたと忍び寄ってくるのでした。
👣
それは第20代ゼデキヤ王の時に起こりました。ユダ王国はバビロンに攻められ、あの美しい神殿も宮殿も皆焼かれました。民はバビロンに引っ立てられました。つわものどもが夢のあと・・・😿
はたして選民イスラエルはこのまま滅びてしまうのでしょうか?
かすかな望みがないわけではありません。ヨシヤ王が蒔いた信仰の種は確実に育っていましたから。🌱