♪祭司ザドクと預言者ナタンは
♪ソロモン王を聖別せり
♪全ての民は喜び讃えり
♪「神よ王を守りたまえ、王よ永らえたまえ」
♪御代よ永遠なれ!
♪アーメン、ハレルヤ!』
パソコンで「祭司ザドク」で検索すると、ヘンデル作曲「祭司ザドク」が最初に出てきます。
1727年、ロンドンウェストミンスター寺院で挙行されたジョージ2世の戴冠式のために作られた曲だとか。その後、イギリスの戴冠式の時には必ず演奏されるようになったとか。動画もあったのでついでに聞きました。
この曲、サッカーチャンピオンズリーグのアンセムの原曲で、以前も聞いたけど、何回聞いても、涙出る!サッカーに興味はないけれど、サッカー場で聞いたら・・😿。
(以前、同じようなことを書いた気がするけど‥)
ザドクの名前は前回の記事とダブリます。
アブサロム王子反逆事件です。
その時、ダビデの優秀な高官アヒトペルも王子側に回ったため、ダビデ王は甚く嘆きました。そして自分の息子との戦いを避けて、エルサレムを脱出しました。祭司アビヤタルとザドクは契約の箱を持ち出して、ダビデに従おうとしましたが、押しとどめられ、新たに密命が下されました。宮殿に戻り、アブサロム王子たちの情報を、逐一ダビデ王に伝えること。そのため、彼らの息子たちが繋ぎとして選ばれました。
ダビデ王の高官の一人ホシャイも、王様と行動を共にするつもりでした。しかしこれも、ダビデ王は止めました。ホシャイの役はアヒトペルの戦略を阻止して、ダビデたちの逃走を助けることでした。
この事件でダビデ王は意図せずして、息子アブサロムを失いました。
歳月が流れて、ダビデ王も寝床に着くことが多くなりました。
ダビデ王の第4子、アド二ヤ王子は、兄アブサロム王子が亡くなると、正当な王位継承者は私だと主張し、行動を起こしました。預言者ナタンはいち早くその事に気づき、ソロモン王子の母バテ・シェバから、王様に伝えるよう促しました。それで急きょ、ダビデ王は預言者ナタンと祭司ザドクを呼び寄せて、ソロモン王子に油を注ぎ、公に「ダビデ王の後継者はソロモンだ」と宣言するように命じました。
ダビデ王はこのことでも、命を縮めたのでしょうか。息子ソロモン王に遺言を残して亡くなりました。王としての身の処し方、自分が王だった時、助けてくれた人たちや、罪を犯した人たちの処遇などをゆだねたのでした。
王となったソロモンは、祭司アビヤタルがアド二ヤ王子を支持した罪で解任し、ザドクを大祭司にしました。
時が流れて、北イスラエルはアッシリヤに滅ぼされ、南ユダもバビロンに負けてほとんどの人が捕囚としてバビロンの地にいました。捕囚の預言者エゼキエルは「イスラエルの民は必ず帰還し、滅ぼされたソロモン王の神殿を再建する」と預言し、民を励ましました。その神殿の管理は大祭司ザドクの子孫がすると言うものでした。
バビロンはペルシャの王クロスに倒されました。クロス王はイスラエルの故国帰還を赦しました。神殿も再建され、預言の通り、神殿の管理を任されたのがザドクの子孫でした。
それは大祭司ザドクの死後、約400年後のことでした。
イスラエル崩壊の前夜、イスラエルの民や、ユダ部族が偶像にとっぷりつかり切っていた時も、ザドクの子孫は神殿の務めを粛々と行っていました。大祭司ザドクの影響が脈々と流れていたのですね。