小高い丘の中腹。そこにある洞穴。そこで泣きながら祈っている人がいる。預言者エレミヤだ。
「ああ、神が住まわれる主の山シオン、エルサレムよ」
ほとばしるその言葉は、悲しみと苦しみとやるせなさが、ない交ぜになっていた。繁栄を極めた選民の地。それは美しい乙女になぞられて、さらなる涙を誘うのでした。書記官バルクは祈りの言葉を聞きながら鼻をすすった。
哀歌は
北イスラエル崩壊後、イザヤ書の後、南ユダ王国ヨシヤ王の時代に書かれたらしい。エレミヤ書の付録?
若き王は、神殿修復、律法の普及、偶像撤廃、過ぎ越しの祭りを再開する、といった事柄に果敢に取り組みました。
その頃、カルケミシは、北イスラエルを滅ぼしたアッシリアから独立し、貿易で栄えていました。
南ユダはエジプトにバビロン。そして、秋の収穫時期を狙って北から攻めてくるカルケミシと、三重苦に脅えていました。
ヨシヤ王は祈りました。「カルケミシを何とかして!!」
神はその祈りをお聞きになりました。それで大国エジプトを使って滅ぼそうされました。(それをヨシヤ王に伝えてほしかった)
エジプトがカルケミシに行くには、南ユダのメギドを通過しなければなりません。
エジプトが上ってくる!メギドを通る!
「安心しろ!お前たちに用はない」
声高にパロに言われても。あの大群。もしや、もしやと悩んだ末に、両手広げて立ちはだかりました。この無茶ぶり。浅はかさ。あっけない結末。😿
そこにバビロンが触手を伸ばしたので、エジプトはカルケミシを完全に制覇できず、バビロンに手柄を奪われてしまいました。
バビロンは勢いづいて、南ユダをその手中に収めました。
それで優秀な人たちは捕囚として、自国に連れて行かれました。
その間、休むことなくエレミヤは語り続けました。
「バビロンに手向かうな。捕囚を恐れるな。
捕囚のその地で所帯を持ち、家族を増やせ」
ということで、捕囚=こき使われる奴隷、と言うわけではなかったようです。
自由があり、集会が持てた。
捕囚の民はその地で熟考し続けた。なぜ?なぜなんだ?われらは神に選ばれた選民だ。
我等の故郷は神様からの約束の地だ。なぜ奪われた!
仲間だった周辺諸国は手も足も出さず、ただわれらをあざ笑って見ていた。。見ていただけではないぞ。混乱に乗じて土地を奪った。
なぜ?なぜなんだ?
捕囚の民は悩み、そして考えた。律法だ。それを守ることこそが、神様に喜ばれることだ。こうして律法主義者が生まれてきたわけですが、それはさておき、現実。
目の前の荒れ果てた地。取り残された貧しい人々。
エレミヤは嘆きました。洞窟にこもって祈りました。そうして生まれたのが「哀歌」。
「しかし涙の先にかすかな希望の光がある。望みがある。神様の哀れみは決してすたれない。そうだ、私たちは全滅しなかった。そこに希望の光がある。神様の真実は限りなく、その恵みは朝毎に新しくなる」
かすかな希望の言葉にささえられて、洞窟から這い出した預言者。その顔には、幾筋もの涙の後がこびりついていました。バルクはその一部始終を見聞きして、まとめたのが「哀歌」です。
『主よ、顧みてください、
わたしは悩み、わがはらわたはわきかえり、わが心臓はわたしの内に転倒しています。
シオンの娘の長老たちは地に座して黙し、頭にちりをかぶり、身に荒布をまとった。
エルサレムのおとめたちはこうべを地にたれた。
あなたのもろもろの敵は、あなたをののしり、あざ笑い、歯がみして言う。
「われわれはこれを滅ぼした」
主はその計画されたことを行い、警告されたことをなし遂げ、滅ぼして、あわれむことをせず・・・
しかし、わたしはこの事を心に思い起こす。
主のいつくしみは耐えることがなく、そのあわれみは尽きることがない。
彼は悩みを与えられるが、そのいつくしみが豊かなので、またあわれみをたれられる。
彼は心から人の子を苦しめ悩ますことをされないからである。』
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ある日のことです。
砂埃にかすむ彼方から、ゲダルヤの一行がやって来たのは。
バビロンの制裁を恐れる彼らは、エレミヤとバルクを強制的にエジプトへ連れて行きました。二人のその後は分からないままですが、最後まで主の僕として働き通したことでしょうね。