ピヨピヨひよこ日記

自分流に聖書を読んでいます。

聖書を自分流で読んでいます。

彼はその勤めを全うした

夕闇が迫っていた。そこは人気のない荒野の中だった。寒さに凍えながら一睡も出来なかった。そして、いつの間にか辺りが薄っすらと明るくなった。

日が高く昇り始めると、じりじりと照り付ける太陽の日差しに喉が渇いた。唇がカサついた。あたりを見回したが、日差しをよける場所は見つからなかった。

着物は引き裂かれ、黒い塊となった血が、体のあちこちにあった。頭がずきずきする。右目の瞼がはれ上がっていた。立ち上がろうとすると、足首の骨がギクッと変な音を立て、うめき声をあげて気を失った。



「バルクさん、バルクさん」

 

耳元で声がしてバルクは目を開けた。眩しかった。

 

「ああ、よかった。気分はどうですか?あなたはもう三日も眠り続けていたんですよ」

かいがいしく彼の面倒を見ているのは、エレミヤの身の回りの世話をしていた若者だった。

 

「先生はどこですか?」

 

バルクの言葉に若者の動きが止まった。

バルクはきしむ体を起こしてあたりを見た。

見慣れたエレミヤの部屋だった。



「私は先生と一緒だった。

先生の話が始まるとすぐ、人々が押し寄せて先生をどこかに連れて行った

 

そう言って乾いた咳をした。

 

「と、とにかく、この水をお飲みください」

 

なみなみと注がれたコップの水を、ごくごく音を立てて飲み干した。体中の細胞がこの時を待っていようだ。

水が心地よくのど元を過ぎると、すとんと胃の腑に落ちた。そこから一斉に干からびた体内に流れ込んでいった。生きているよ!!細胞が叫んだような気がした。

バルクは二杯目もお替りをした。その最後の一滴を、ゆっくりと舌の上に落とした。若者はそれを確かめると言った。

「実はあの時、私もあの場所にいました。エレミヤ先生のいつものお言葉に人々はいらだっていました。先生がお話を始めると、群衆がざわめいて、色々と言葉が飛び交いました。それからです。あの方はあっという間に連れ去られたのです。バルクさんが必死に抵抗しているのも見ました。私も、何とかあなた方に近づこうと試みましたが、弾き飛ばされました」

 

若者は手元のコップに目を落とした。

「バルクさんの居場所は、人づてにたどって見つけることができました。でも、先生の居場所がわかりません」

 

「よく私を見つけてくれたね。ありがとう。それにしても先生の居場所がわからないとは・・」

 

「それどころか悪いうわさが流れています」

 

「悪いうわさ?」

 

バルクはビックと体を動かした。

若者はバルクの方に体を向けると言った。

「あの方の場所は分かりません。もうこの世にはいないという人もいます」

 

バルクは息をのんだ。

エジプトに来てからのエレミヤの働きは過酷だった。

南から北へ、北から南へとそれぞれの町々を巡り歩いた。バルクも常に一緒だった。エジプトの地には、早くから避難していたユダヤ人たちが沢山いた。彼らの生活をつぶさに見て回って、エレミヤは深い絶望感に襲われていた。それはバルクも同じだった。

早くからエジプトに逃れてきたユダヤ人は、地元のエジプト人よりも宗教に熱心だった。その熱心は天の女神に香を焚き、不品行な行為を繰り返すことだった。その中にはエレミヤを強制連行した、残りのユダ王国の人たちも混じっていた。彼らは率先してその習慣に染まっていった。老預言者のため息は日増しに深まった。

バルクはそんなエレミヤの姿を見るのが辛かった。

体力の消耗もさることながら、気力の衰えが気になった。そんなエレミヤを鞭打つように神様はおっしゃった。

北部の町ミグドル、タパネス、メンピス、パテロスに住む人々にイスラエルの神の言葉を語れ」

 

異教にとっぷりと浸かった民を見ていたエレミヤだったが、何も言わなかった。彼は神様の促されるまま町々で語りだした。

 

「お前たちは神様がエルサレムとユダに下した災いを知っている。

その理由は、偶像を拝み、私の教えに逆らったからだ。さあ、かみさまのお言葉を聞くがよい。

『お前たちは今、何をしているのだ。同じことを繰り返している。

以前はまだ望みがあると思っていた。だから、たくさんの預言者を送り込み警告をしたのだ。

しかし、お前たちの態度は改まなかった。

それで、わたしの気持ちも決まったのだ。

お前たちがその気なら、気のすむまで天の女神に仕えるがいい。

わたしはお前たちに、大いに関心を持っている。それはもはや祝福を注ぐためではない。災いを下すためだ。はっきり言おう。もうお前たちには何の希望もない』」

その言葉に、人々の反応は素早かった。

 

「天后に香を焚き、酒を注ぎ、パンを焼く。これは夫の許可をえてのことなのよ」

 

女たちのヒステリックな声が四方から飛んできた。

その声に呼答するようにして男たちが叫んだ。

 

「何を言っているんだ!!この偽預言者め。ヨシヤ王は、私たちが拝んでいた天の女神を破壊した。私たちはイスラエルの神をないがしろにはしていない。異国の神々と一緒に拝んでいたではないか。

それなのに、外国の神々だけ偶像だと言って、天の女神像や礼拝場所を破壊しまくった」

 

「そうだ、そうだ!!

それで我々に平安が訪れたか?やめたおかげで、さらなる苦しみに会ったではないか。すべてヨシヤ王が廃止したおかげではないのか?」

 

民はエレミヤに食って掛かった。エレミヤは民の圧に押され気味になりながらも、踏みとどまって言った。

「さあ聞くのだ。

あなた方の先祖が行ってきた悪しき業については、神様が常々指摘してきた。『もはや忍び難き悪行の数々。わたしが約束の地として与えた土地を離れ、遠くエジプトの地まで流れてきたのも、わたしの怒りのゆえだ。

もはやこの地には、わたしの名を呼ぶ者はいない。

もう助けを求めても手遅れだ。

ユダ王朝のゼデキヤ王をバビロンのネブカデネザル王に渡したように、エジプトの王ホフラを彼の手に渡す!!』」

 

「その後ですよ。突然、つぶてが飛んできて、先生の額に当たったのは」

「あ思い出したぞ! あの時、必死になって先生の手を引っ張て逃げようとしたんだ。しかし、群衆の方が一瞬早かった。私と先生はあっという間に引き離された。ああ、なんてことだ」

 

バルクは頭を抱え込んだ。すると、唐突に神様のお言葉が浮かんだ。

 

『見よ。私は自分で建てたこの国をこわし、自分でうえたものを抜いている。

しかし、バルクよ。お前は私の為に苦労してくれた。その報いとして、どこへ行ってもお前の命は私が守る』

かってエレミヤの口を通して語られた、神様のお言葉だ。

バルクは体力が回復すると、エレミヤを探し回った。必死に祈った。祈ったけれど、その答えは得られなかった。

そんなわけで、バルクはエジプトの地に留まり、エレミヤの情報を収集しつつ、書き溜めたエレミヤの言葉を整理していった。

その中にはエジプト人ペリシテ人、モアブ人アモン人、エドム人、ダマスコ、チグラとハツォル、エラム、バビロンなどの預言があった。

どれもこれも記録するのが苦しくなるような内容だった。

こうして老師の言葉を再確認していると、共に過ごした過酷な日々が懐かしかった。

いつの間にか日が傾いて手元が暗くなった。

すっと燭台が差し出され、ゆらゆらと揺らめいて、暖かな光がバルクの手元を照らした。

バルクは顔を上げた。目の先に若者の笑顔があった。

 

「最後の一行を書くところだよ」

 

「そうですか。やっとですね」

 

「ああ」

 

若者はわきに立っていた。

バルクはその体温を感じながら、揺らめく手元を見つめ、ペンを動かした。

 

これでエレミヤの言葉は終わります」

書き終えたバルクの姿を見届けると、若者はゆっくりと部屋から出て行った。

ふーっと、深い息がバルクの胃から這い出してきた。彼は首をひねった。コリコリと骨が鳴った。それから名残惜しそうにゆっくりとペンを置いた。