エレミヤの言葉に、涙して悔いる者もいたが、それは一瞬で、民は楽観主義で偽預言者の言葉に魅力を感じて流されて行った。
彼らは「大丈夫だ。平安だ」と繰り返し、民に偽りを吹き込んでいた。
民は決して不信仰ではなかった。むしろ熱心に礼拝をしていた。
彼らの悪は、イスラエルの聖なる神殿に偶像を持ち込み、罪の意識も無くなって、一緒に祈っていたことだった。
「わたしの他に神はいない」
そうおっしゃった神様のお言葉が、民の中から欠落してしまっていた。
王も、指導者も、祭司も、預言者も、その事の不自然さに無頓着になっていたのだ。
偽預言者は言う。
「我々には神殿がある。欠かすことなく捧げ物をし、奉仕もしている。我々は大丈夫だ。エルサレムは守られる。我々は神様に選ばれた民だ。選民なんだぞ!」
そう語りながら、様々な神々の頂点に立つ「天の女神」を礼拝した。
カナンの主な女神アシュタロテ礼拝では、不道徳な行為が礼拝の一部として盛んに行われていたし、エルサレム南側の谷「ベン・ノンヒム」では、モレク神に子供が犠牲として捧げられていた。
しかし、本当に困った時には、ハッと夢から目覚めた人のように、ガバッと先祖の神の前にひれ伏して、助けを求めるのが常だった。
そんな民に怒りを含んだ神様の言葉は続きました。
「わたしが北から災いと大いなる破滅を越させる。
地は嘆き悲しみ、天は真っ暗になる。
わたしが、『滅ぼせ』と命じたからだ。
わたしがいったん決心したことは、絶対、変更はしない」
神様のお言葉は厳しい。
「そのために地は悲しみ、上なる天は暗くなる。
わたしがすでにこれを言い、これを定めたからだ。
わたしは悔いない、またそれをすることをやめない」
しかしそこには、いつもこのような言葉が続きました。
「わたしは選民イスラエルを全滅させない。本気でわたしのもとへ帰りたければ、偶像礼拝を断ち切れ!偶像を捨てよ!!そして避難せよ。とどまってはならない」
それから神様は懇願するようにエレミヤに言われました。
「エルサレム中を駆け巡れ。駆け巡って探せ!ひっそりと隠れて、私を信じている者がいるかもしれない。調べるのだ。しらみつぶしに探すのだ。たった一人でも構わない。見つかったなら、わたしはこの都を滅ぼさない」
エレミヤは必死になって駆け巡りました。駆け巡って、神様を知る人を探しましたが、どこを探してもそのような人を見つけることが出来ませんでした。
そういえば、神様は「悪に染まったソドムとゴモラを滅ぼす」とアブラハムに打ち明けたことがありました。(創世記18:20~)
アブラハムは驚き言いました。「もし50人の正しい人がいたら、それでも滅ぼすのですか?」神様は「滅ぼさない」と言われました。しかしアブラハムは心配でした。「45人では?40人では?30人では?20人では?いえ10人では?」と迫りました。アブラハムしつっこい。でも神様のお言葉は変わらす「滅ぼさない」とおっしゃいました。
今回は神様の方から「たった一人でもいいから見つけてきておくれ。滅ぼしたくはないのだよ」とそのお心がにじみ出ていて、胸が詰まります。
エレミヤの報告を聞いて神様は言いました。
「だからこそ私は怒るのだ。許すことが出来ないのだ」
エレミヤが召された頃、野蛮民族の大軍が北から西南アジヤ諸国を脅かしていました。
イスラエルを長年繰り返し蹂躙していたアッシリヤも、その脅威からは逃れられませんでした。
それらの大軍は南方の肥沃な土地を目指していました。
それと共に、北方よりバビロン帝国の侵略が始まっていました。その勢いは凄まじく、エレミヤは生存中にその結果を見ることになりました。
このように、世界情勢が目まぐるしく変化してゆく中で神様は言われました。
「わたしの国民はほんの少しだけ残る」