あ!ごめんなさい。職場放棄だなんて…
母の胎にいる時から神様に選ばれていたエレミヤさんです、決してそのようなことはございませんね。
「私の頭が水となり、私の目が涙の泉となればよいのに・・」と嘆かれたほどのエレミヤさん。
神様の御思いを理解しているからこそ、民と神様との間で板挟みになっで苦しんでいるのです。笛吹けど民踊らずの状態に、働きの成果が出ない状況下で、思わず漏れ出てしまった言葉なのでしょう。
そういえば、「私はサンドイッチの具」と言った方がおられましたが、イスラエルも南北共に大国に挟まれたサンドイッチの中身状態。
南が圧し掛かれば北に傾き、北が圧し掛かれば南に助けを求める状態でした。ぎゅっと押されてはみ出した時、神様に手を伸ばしさえすれば良かったのです。
若きヨシヤ王の時でした。
大祭司ヒルキヤは律法の書を発見。感受性豊かな王はその内容を知ってショックを受けました。あまりにも神様の道から外れていたからです。
王様は即動きました。
「この書に記されている『契約の言葉』をこれからは実行するぞ!」
しかし優秀な親に対す反動でしょうか、代替わりした息子エホアハズ王は真逆の道に走りました。
思い返せば出エジプト時代から、目に見えない神様より、目に見える物に、つい頼ってしまう。それが一度や二度ではない。サンドでも四度でもないのですからね。
イスラエルの人たちも国の存続のために知恵を絞り、万策尽くしているのですが・・・
「お前たちの知恵などくそくらえだ。私と交わした約束も守れないのか。
知恵とは何だ?
分からないのか。
分からなければ教えよう。
知恵とは、天地万物を造られた私を知ることだ。私を信じ信頼することだ。そこからすべてが始まるのだ。
そのことに気付け!目を覚ませ!悟れ!
お前たちがぐずぐずし、私をないがしろにし続けるから、私は荒治療を施すのだ。耳を澄ませ。北からその使者(バビロン)を私が遣わす。」
『聞け!
うわさのあるのを。
見よ。
北の国から大いなる騒ぎが来る』10:22
「エレミヤよ。お前はこの民のために祈るな、泣くな、私に祈り求めるな!」
エレミヤは神様のお言葉に慄きつつ、むくむくと湧き上がるある思いに驚き戸惑いました。
それは・・